

第二話 カーテンからさし込む朝の光
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午前四時,遠山里美は食卓についている。目の前には,食べ時をとうに失ったオードブルのパテが,手つかずの状態のまま皿に載っている。ふちのゼラチンは溶けてまずそうだ。 二時間前までは,正面に里美の上司,佐富安雄がすわっていた。 入社当時,「佐富主任とあたしが結婚したら"サトミサトミ"になっちゃうわ」なんて同僚達と冗談まじりに言っていたがいつしかこんな仲になっていた。 今日は里美の誕生日。安雄を部屋に招待して,楽しく祝う……はずだった。約束に2時間遅れた安雄は,席につくなり,オードブルには手を付けず,注がれたシャンパンを持つこともなく,唐突に「もうおしまいにしないか」と勢いよく切り出した。 それから三時間以上にわたって彼らに会話はなかった。安雄は煙草の箱を無意味に弄びながら,うつむいている。里美はというと,安雄をずっと凝視したまま姿勢を崩さない。 バッハ「平均率クラヴィーア曲集」第一集より嬰ハ長調 里美は安雄がいつ帰ったのか覚えていない。彼の置き去りにしたパーラメントの残りを燻らす。胸の内を全てはき出すように咳こんだ。 彼女は本当は煙草が全く吸えないのだ。 どのくらいたったのか。玄関でがさっと乱暴な音がした。がそれは,新聞が戸にさし込まれた音だ。 里美は新聞を取りに,初めて立ち上がった。オードブルを捨て,ステーキ用の生肉を捨て,シャンパンを捨て,ラナンキュロスの花束も捨て,何もかも捨てた後,コーヒーを入れた。新聞の社会欄をいつものように聞き,ボスニアだのヘルツェゴビナだのの記事の活字を,うつろに追った。 カーテンからさし込む朝の光が痛い。 里美は泣いた。安雄がいたときには涙もにじまなかったのだが……。 今,彼女は,強い朝日に照らされ,身も世もなく泣き伏した。 |


